ポロリもあるよ

コードレス家電って素敵やん。

今持っている掃除機、イヤホンにはまだコードが付いている。

今すぐにでも買い換えたい。

電車に乗る時にイヤホンを出す煩わしさに、毎回イライラが止まらない。

ちゃんとしまっていればすぐ出るよ、と友達は言う。

でも細かいこと(そんなに細かくない、とも言われる)が苦手な私は綺麗にコードを毎回まとめることが出来ない。

絡まりをほどいているうちに何駅も過ぎてしまうことがある。

 

掃除機も欲しいが、私にとって使用頻度の高いイヤホンを先に買うことにした。

インターネットで検索君する。

大量の画像。

口コミをチェック。

わからない、何が良いのかさっぱりわからない。

街歩く人の耳を注意深く見る。

黒い物やうどんのような物が耳から出ている。

 

そこで家電に詳しい友達に聞いてみた。

自分の使っているこれは良いですよ、と勧めてくれた。

ドライバータイプ

本体重量:イヤホン - 約7.0g

黒で見た目もカッコいい。

こだわりなんて何もないので、早速Amazonでポチ。

翌日配達。

受け取るや否や箱をバリバリ開けて、着用。

耳に入れてみる。ん?

ポロっと取れる。

付け方がおかしいのかな、再チャレンジ。

ポロリ。

相方に「何してるの?」と聞かれたので

「何回耳につけてもポロリとなる。」と答えると

ちょっと貸して、と相方が耳にハメた。

何の問題もなく、私の憧れのスタイルに。

「快適」と言う。

悔しい。なぜだ。

やり方か?と何度もチャレンジ。

ロリポロリ、ポロポロリ。

グリグリ耳に押し込む。痛い。みんなこんなに痛い思いをしているのか。

そぅっと歩いてみる。

歩けるかな?と思った4歩目にポロリ。

いや、そんなバカな(なぜか現実を受け入れられない)。

 

翌日の通勤の時にも着用してみる。

翌日なら使えるかもと言う謎の思い。

そっと歩く。

取れそうになる。

浮いてくるのがわかる。

グリグリ入れ直す。

日付が変わっても結局ハマらずポロリ。

ふと電車の窓に映る自分が見えた。

耳から何か出ている。出すぎている。

これはまさにフランケンじゃないか!?(後でフランケンの画像を見たら、耳ではなく頭にささっていた)

だめた!こんなに浮いていたら落としそうだし、見た目も面白くなっている。

諦めて外す。

不良品か?男性用か?

それでもコードレスが諦めきれず、大きな家電量販店に行った。

 

プロフェッショナルな店員さんにポロリの話を伝える。

「入っている3種類のサイズはお試しですか?もっと小さいサイズなのかもしれませんね。1番小さいものでお試しいただけますか?」

と言われ、小さいイヤーピースを渡された。

 ポロリ。

「うーん、これが合わないとなると有線のタイプしか難しいかもしれません。」

そんな馬鹿な!?

 

セカンドオピニオン

別の家電量販店へ。

「これでハマらないと、ちょっと難しいかもしれません。」

と店員さんの最後の一手も敢え無く撃沈。

まさかコードレスが使えない体なのか。。。

 

凹んだので友人に電話をする。

「私の耳の形が一般的じゃないって知ってた?言ってよ!」

友人「知るわけないし。」

 

ダメかもしれない・・・

あきらめかけたー夢のとちゅうぅー。

いくーつものー量販店をこーえーてー

たどり着いたー今があるー(流れているのはあのメロディです。)

 

たまたま通った家電量販店にダメもとでもう一度だけ聞いてみる。

試しながらポロリポロリとなる姿を見て店員さんは

「ちょっと耳を見せていただけますか?」

あまり人に耳を見せたことがないので、照れくさくなりながら差し出す(←もじもじする気持ち悪いお客)

「これは耳の形ですね。今まで見た中で一番小さいかもしれません。一般的なのはハマらないと思います。」

ビーン(←いまだに言う)

「でもこれはどうですか?ハメるというより引っかけるタイプなので、もしかして・・・」

うどん型のコードレスイヤホンを持ってくる。

なんとか引っかかる。歩いても大丈夫!っぽい。

即買い。

種類がどうとか、色がどうとかそういう問題じゃない。

これしかあうものがない。

 

こうしてなんとかイヤホンはコードレスを買うことが出来た。

こんな耳の人、他にもいるのだろうか。

ご購入を検討されている方は、少しだけ気にしてみて下さい。

 

ちなみに「ポロリもあるよ。」と友人に今回の流れを報告していたら

「昔の”スター水泳大会”じゃないんだから。」と言う指摘が。

私の”ポロリ”の語源のルーツは確かにそこのようだ。

FPで混ぜる事件

とある日、友人が我が家へ遊びに来ることになった。

お昼過ぎに来ると言うので、おやつでも作るかーと検索君(なぜか検索に”君”をつけたくなる)した。

甘党の友人にぴったりな”バナナケーキ”を見つけた。

混ぜて焼くだけで簡単そうだし、これにしようと作り始めた。

 

レシピを見ながらボールに小麦粉、砂糖、塩、バナナなどを入れる。

オーブンを温めておく。

ふむふむ。

レシピの次の過程に進んだ時に手が止まった。

「FPで混ぜる」

と書いてある。

FP、FP、FP・・・

ファイナンシャルプランナー・・・関係ないな。

フィ、フィ、フ

キッチン用品だよな・・・あたりを見回す。

あ!これか!

と、”フライパン”にボールの中身を全部入れる。

混ぜる。

混ぜにくい。

何か意味があるのかな・・・?

と思いつつ続ける。

 

なんだかゴロゴロしているけれど、焼く。

そんなことをしている間に友人が来訪。

 

「バナナーケーキ作ってみた」

と出す。

食べながら私が言う。

「なんだかゴロゴロしてるよね。レシピ通りやったのに」

とレシピのせいにしてみる。

「ちょっとそのレシピ見せて。」

と友人が言う。

見せる。

友人「ねえ、、、FPで混ぜるってなにした。」

私「え、ちゃんとフライパンで混ぜたよ」

友人「・・・フードプロセッサーじゃない?」

私「はっ!?!?!?!?」

言葉を失う。

全ての謎が解けた。

食べられなくはないけれど、フードプロセッサーで綺麗に混ぜたらもっと美味しかっただろう。

 そこ以外短縮した文字はないのだから、これもフルネームで書いてほしかった。

 

この話をすると、フードプロセッサー以外何があるの?と言われるが、その時は全く頭になかった。

みんなわかるものなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

最初で最後の平手打ち

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

20年以上前の話である。

中学生の頃だった。

当時バレー部に所属していて、強い弱いはさておき非常に厳しい部活だった。

若い顧問は熱血指導者。

とにかく試合に勝たせたいと言う思いが強かった。

 

練習内容も少し変わっていたように思う。

練習にはこんな事もあった。

試合の時にたくさんの観客がいても緊張しないように、と体育館の壇上に上がり一人で自分の選んだ歌や校歌を大声で歌う。

見られることに慣れるように。声が小さかったらやりなおし。

時には運動場の真中で一人で歌う。部員全員で歌うこともある。

どの時も、他の運動部は練習中だし、帰宅中の生徒にも見られるし、思春期の自分にはきついものだった。

 

練習や試合でミスをすると、太ももの裏あたりを思い切りたたかれた。

当時はテレビでも熱血指導の先生はいたし、特に疑問も思わず毎日練習に励んでいた。

一緒に入部した同学年の部員は、20人から数か月で5人になっていた。

 

中学2年生のある日、顧問が職員会議で練習に遅れてくる日があった。

緊張感が薄れ、ダラダラ笑いながら練習をしていた。

思ったより職員会議が早く終わり、その光景をみた顧問は激怒した。

「今日の練習は終わりだ!!もう帰れ!!」

いなくなった顧問を気にしつつ、バレーボールをかたずけようとした時にOG(引退した先輩)が数人きた。

「久しぶりに体を動かしたくて。やろうよ」と言われた。

当時の1学年の差は大きく、先輩のいう事は絶対だった。

事情を話すも、結局練習試合をすることになった。

 

久しぶりに先輩たちの動きを見ながら、皆本気で戦った。

1試合目が終わろうとした時・・・

体育館の入り口に人影が見えた。

「お前ら何やってんだ!誰の許可を得てるんだ!!」怒りに震える顧問だった。

理由を説明する間もなく、入り口近くにいたKちゃんが髪の毛をつかまれた。

のちにKちゃんに聞いたら、顔を守っていたら髪の毛をつかまれたとのことだった。

助けにいこうと近寄ったが、あまりの剣幕に思わず後退りした。

kちゃんは振り回され入り口に投げられた後、次に近くにいたキャプテンが頬を殴られた。

次にDちゃんが殴られた。

Dちゃんはとっさに受け身をとっていたらしい。

そして次にOちゃんが数発殴られ蹴られ、最後に私だった。

最後だったこともあり、顧問は正気を取り戻していたように思う。

それでも公平に、との思いからか数発殴られた。

殴られ慣れていない私はまともにビンタを受け、2、3発目でよろけて倒れた。

結果、耐えた分キャプテンのほうがビンタが多かったようだ。

私のよろけは早かった。

殴られたことで、気持ちが先に折れたから立っていられなかった。

バレー顧問の男性のビンタの衝撃は大きかった。

2年生5人を殴った後、去っていった。

 

顔面蒼白な先輩達は「大丈夫!?」と、泣きじゃくる私や他のメンバーに走り寄った。

髪の毛を掴まれたkちゃんは大量の毛が抜けていた。

キャプテンは目のあたりを打たれたらしく、ずっと押さえていた。

受け身を取ったと言ったDちゃんは無傷。すごい。

Oちゃんは顔が真っ赤に。

私は少し目の端の皮膚が切れたらしく、薄い血が涙に混じって流れていた。

 

大惨事だった。

 

しばらくしてみんなの気持ちが落ち着いた頃、各自家に戻った。

言わずとも、泣きはらした目と顔の腫れに家族が気づかないわけがない。

始めに家にいた祖母が「どうしたんだ?」と聞いてきた。

それには答えず、自分の部屋に急いで入った。

 

その後父母が帰ってきた頃に、父宛に顧問から謝罪の電話があった。

「こういう理由で叩きました。申し訳ございません」と。

 

全家庭の親が我が家に集まり、話し合いになった。

私たち5人は「私たちが悪かったから」と言い続けた。

親同士は、女の子の顔に手を挙げたことは許せないけれど、子供たちがここまで言うならと大事にはしなかった。

今なら大事な気もするが、それも時代かな。

 

翌日顧問に5人は謝罪に向かった。

「勝手なことをしてすみませんでした。」と謝った私たちに、

顧問は「どういう理由であれ、叩いてしまったことは申し訳なかった」と言った。

 

初めて顔を殴られ、目の周りは真っ青になった。

数日ひどい顔だった。

それでも部活動は5人とも卒業まで続けた。

 最後の試合に負けた時、終わりの笛が鳴り終わるや否やコートの外で5人で泣いた。

 

顔を殴られるのは、この時が最初で最後になったと、思う。

今後なければ。

顧問とはその後も友好な関係が続いていた。

数年後にあった時には、時代の変化とともにかなり丸くなっており、あの時は申し訳なかったと繰りかえしていた。

顧問も手を挙げたのは、あれ以降ないようだ。

 

このことは忘れられない青春の1ページとして心の隅に閉まっている。

 

 

年齢を重ねれば重ねるほど、やっぱり語学!

HSK4!本日合格確認!

HSK4とは、中国語試験のことである。

HSK1~HSK6までの級がある。

自粛期間及び仕事が休業状態になってほどなくして「このチャンスに何かをやらなければ!」と思い立ち、インターネットの前で検索君(なぜかいつも検索に”君”をつけたくなる)した。

 

それは昔々、英語に興味を持ち中学生レベルの英語のままオーストラリアへ渡り、その後日本人と戯れ(一番ダメなパターン)、ひどい発音のまま日本へ帰国し使わないまま忘れる、と言う過去を持つ私は語学に目をつける(なかなか懲りない)。

 

語学については、見慣れていないだけで見慣れれば大概出来るようになるはず、と思っている。

 

そこで仕事でも使えるとかなり便利な中国語に興味を持った。 

 

橋は叩かずに渡ってみる、そうして生きてきた私は年を重ねても考え方は変わらないらしく、とりあえず手を出してみることにした。

 

中国語をゼロから、昨年7月にスタートさせた。

発音が難しいという話はよく聞くので、独学はダメだなと思いインターネットのレッスン、月~金毎日 25分×2回プランに申し込みをする。

先生は、日本語が話せる先生や中国語しか話せない先生など、現在中国に住んでいる先生を選ぶことが出来る。

 

まず腕試し(中国語の知識ゼロなのに腕試し)に中国語しか話せない先生と日本語が話せる先生を各25分ずつ受講。

中国語しか話せない先生との会話はもちろん聞き取れず、

私は「あー、うー、うぉ うぉうぉー」とヘレンケ〇ーが初めて水を手にした時か、ぼ〇ちおさむのおさむちゃん(40代以上でないとわからないか・・・おさむちゃんでーす!を力いっぱい叫ぶ方)のような答えしか出来なかった。

日本語に訳しても”我(ウォ=私)”をひたすら言う日本人は怖かったに違いない。

そして全くわからないまま終わった25分。

 

次の日本語を話す先生に勉強の仕方を教えていただき(絶対こっちが先)レッスンを始めたのであった。

 

そして気づけば早1年。

気分がのらない日もあった(ほとんど)。

発音が出来なくて叫びたくなることもあった。

万里の長城(チャンチャン)にのぼる」と言う意味を「味見(チャンチャン)をしながらのぼる」と解釈し、中国の方は味見をしながら歩くのか?と、話が通じないこともあった(カタカナにすると同じだが抑揚で意味が変わっていた)。

 

そして今日HSK4の試験結果が出た。

まだ聞き取りと会話は難しいけれど、初めの時よりは単語が少しでるようになった。

そうなると万里の長城にも行ってみたくなるし、ニュースが流れていると中国語を聞いてみようかな、と言う気にもなる。

もしかして数年後仕事に使えるようになるかもしれないと、夢を見始めた。

 

年齢を重ねたらなかなか覚えられない、と感じることもあるかもしれないけど言語はある程度みんな時間がかかるはず。

 

今だから感じられることもある。

 

昨日見たはずの単語を再度見ても、初めて出会った単語のように思うことがある。

昨日見た?本当?と自問自答。

新鮮さを2度味わえる。

 

テキストを何度も見る。

1日1ページ、3日で3ページ。3ページ進んで2ページ戻る。にゃ!(←頭の中に流れているのはあの歌です。)

こんなにテキストを使うなんて、テキスト代のもとが取れてるね!と思う。

 

以前ゴルフに行った時に、下手すぎてあっちにこっちにボールが飛んで走り回って、上手い人は真っすぐ優雅に歩いていたけど、同じ金額を払うなら隅から隅までゴルフ場を堪能している私のが得ではないかと思った。

あの木の下に綺麗なお花が咲いていたの知らんやろ!と。

あの時と似た感覚だ。

 

 

もし中国語がビジネスレベルくらい上がったら、次は韓国語を勉強したい。

中国語を始めたときに多くの人に「韓国語のが簡単じゃない?」と言われ、かなり気になっているから。

ヤンニョムチキンも好きだし。

 

はじめれば1年後はまた違う事が見えてくる。

2年後3年後どうなっているのか。

トキメキが止まらないのは私だけなのか。

 

 

 

初めてのガリガリファイヤー!

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

初めての一人暮らしは、オーストラリアで現地の看護婦ナンシーさんとの2人暮らしだった。

自宅から出たことがなく、自炊も洗濯もしたことのない私の初めての海外暮らし。

 

その家は、新聞に載っている”ルームメイト募集”から応募して決めた。

幸い日本人は行儀が良いと思われていたようで、希望後すぐに決まった。

2DKで、自分の部屋を一部屋もらうことが出来た。

真っ白いソファーにおしゃれな食器。

清潔感のある部屋だった。

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そこでの忘れられない失敗3連発

その1

フィッシュ&チップスや中華の外食に飽きた私はお米を食べたくなりました。

炊飯ジャーはありません。

薄っすら記憶に残っている、”お鍋でお米を炊く”ことにしました。

初めてのお鍋でのお米炊きです。

とぅるるっとぅっぅとぅとぅっとぅとぅ

(3分クッキングのようにしようと思ったけれど音痴が出てしまいました。)

 

まず大きめのお鍋にお米をギリギリまでいれます。

それからお水もギリギリまで入れます。

火をつけます。

グツグツしてきたら早速お水が溢れますので、少しお水を捨てましょう。

しばらく蓋をして置きます。

焦げ臭い香りがしてきましたね。

ふたを開けます。

上側は生米のままです。

頑張って深鍋の下から混ぜてみてください。

下まで届きません。

出来上がりです。

 

帰ってきたナンシーはこれを見て「日本人はそういう食べ方をするの?」と聞いてきました。

「うん、そうだよ」と答えながら(若気の至り)、上側をすくい食べてみます。

見た目が入れたときのままなので、それはそのまま生米です。

でもとりあえず口に入れてみます。

ガリガリしてます。それは生米です。

全部タッパーに移し替え冷蔵庫に入れ、数日間に分けお水を入れてふやかしたりしながら完食します。

美味しくいただけました。

  

その2

洗濯をしました。

 洗えたけれど、いつも乾燥が甘い洗濯機です。

まだビショビショです。

早く乾かしたいなーと思い、ドライヤーの先端に靴下をすっぽりかぶせ最強風でオン。

ブワブワブワ~~と靴下の中に空気が入り、鯉のぼりのように靴下が動きます。

わーーー、楽しいーーー、なんて思ったのもつかの間です。

なんか焦げ臭い?ん?煙?

ブワッツ、大量の煙と

ファイヤー!!!

慌ててドライヤーを止めました。

幸い?付属のコンセントが部分が溶けただけで、大事にはならなかったがかなり焦りました。

電力の強さに完敗です。

 

その3

お腹がすいた私はレンジでチンをするため、アルミホイルで包まれたフィッシュ&チップスをチン。

チン・・・数秒で・・・

ファイヤーーーーー!!

アルミホイルをチンしちゃいけない、という事を学びました。

レンジはその後ひたすら「no working」のメッセージを流し続けました。

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ほかにも真っ白いソファーに濡れたタオルを置きっぱなしにして水染みを作ってとれなくなったり(水で染みが出来るなんて・・・)、綺麗なお皿を割ったり・・。

いろいろな経験とともに大人の階段を小走りで登り、その瞬間瞬間に巻き込まれたナンシーには感謝してもしきれない。

 

他にも記憶に残っていることは、いろいろな人に助けていただいたことばかりだ。

私も誰かの記憶に残れるように、小さなことからコツコツと。

頑張りましょうー。

複雑なおとしごろ

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

  

無かった。インターネットなんて幼少のころはなかった。

小学校の時、当時は文通が流行っていた。

買った本の後ろには文通募集のページがかならずあった。

文通とは、簡単に言えば手紙のやり取りである。

こんなことを書くと自分がすごい昔を生きた人のような気がしてくる。

 

そんな手紙文化に私の中で終わりを告げたのは、20歳を超えたくらいのことだった。

その前に連絡手段としてポケベルもあったけれど、いったん割愛。

 

友人たちがパソコンで”メール”を使って連絡するという空気感になってきた。

当時20~30万くらいしたと思うが、私も流れに従ってパソコンを買い、設定に苦労しながらつなげたものだ。

それでもメールがピコっと来ることが新鮮で、たわいもないことを送りあった。

本当にブームと言うものは、理由なく心を浮かれさせ乗りたくなるものだ。

これが日本を動かす闇の組織の陰謀だとしても、”ブーム”になれば楽しく乗ってけ乗ってけ乗ってけてけてけ、乗ってしまうだろう。

そんなの愚かだ・・・と言う方の人になりたかったが、乗るほうの人になってしまった。

 

その後海外へワーキングホリデーに行き、パソコンメールが活躍するかと思いきや当時はそこまで浸透しておらず、日本の友達とは手紙や電話でやりとりをしていた。

今ならラインですぐに電話も、顔を見て話をすることも出来るのに・・・。

 

日本への帰国後就職したが、私の行った会社には大きなかさばるデスクトップが数台おかれていて、それほど活用している感じではなかった。

 

それが・・・3~4年もすると一人一台の世界に早変わり。

じわーりじわーりとくる時代の変化に戸惑いを隠せなかった・・・のは私より上の世代のようで・・・

指を一本一本使いながら「”お” ”せ” ”わ” ”に” ”な” ”り”、、”ま、ま、まはどこだ?」と打ち込みに苦戦しているおじさま方をたくさん見かけるようになった。

 

もう何年か経つと、一つの部屋に”当たり前のようにパソコンを使いだす世代”と”苦戦するおじさま方”が交じり合うことになるのだった。

パソコンを使い慣れている世代のリサーチの速さ、正確さ、文章作成の速さ、表計算の速さに世代交代を余儀なくされたことだろう。

 

私は微妙な年代で、ゆっくりながらもギリギリインターネットに慣れていくことが出来たギリギリガールズである。

 

知りたいことは何でも出てくる。

少し前に偶然鏡を見た時、舌の奥に複数のブツブツを発見。

「こんなもの今まで無かった!」とインターネットで調べると、舌癌とか恐ろしい病名までもヒット。

「怖い怖い」と騒ぎ立て周りを心配させ、近くの病院を受診。

おじいさん先生が「えー?どれのこと言ってるのぉ?」と聞くので

(失礼ながら)こんなにあるのに見えないの!?と口を開けながら

「奥でふ(奥です)。しはのつへへふらい(舌の付け根ぐらい)」と必死にアピールすると
「えー?これのこと?このブツブツなかったら味がわからないよぉ。みんなあるよ。」と言われた。

色々調べていた私はその診断を聞いても不安が止まらず、別の病院にセカンドオピニオンを聞きに行った。

そこでは若い先生が「あ、それで食べ物の味がわかるんですよ。」と苦笑いでおじいさん先生と同じことを言った。

会社に戻り「みんなあるらしいんだけど、本当にあるかどうか見せて?」と同僚に言いまくり「口の中だから見せたくない!」と言う人たちが多い中、一人だけ「見てもいいよ。」と言ってくれた心優しき先輩の口の中を見せてもらうも「暗くて見えませんよ!」と先輩へ逆切れする始末。

その日から私は周りから「オーバーズの一員」と呼ばれるようになった。

※他のオーバーズメンバーは、腕がチクッと痛いだけで「死ぬー、死ぬー。私はもうだめだ。皆さんさようなら」と言うおじさんなどがいる。今も元気にお過ごしです。

 

知りたい情報も、知らなくていい情報もすべてわかってしまう。

判断は自分でしなければいけないので、昔のほうが大体でユルっといきられたような気もする。

どちらが良いとも言えない、複雑なお年頃である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚するとかしないとか

偏った結婚観の話

 

昔から結婚への憧れが薄かったように思う。

高校時代に「何歳で結婚すると思う?誰が一番早いと思う?」という話しでも、私が上位に上げられることはなかった。

自分的にも理想の結婚が全く浮かばなかった。

ごく普通の幸せな家庭で育ったので、”自分の家のような家庭を作りたい”とか思うはずではないのだろうか。

 

そんな感じなので、高校生の時に初めてボーイフレンドが出来た時も「3か月くらいで別れるのかな」と思ったりしていた。

今思っても、付き合いたてで考えることではない。

そして当時の”ボーイフレンド”にもこの思いを伝えてしまい怒られ、友達にも「なんでそんなこと言うの!?」と怒られた。

そりゃそうだ。

 

その後も何人か付き合ったり別れたりしていて、前に書いた"流れで結婚まで行きそうになった人"と出会ったけれど、憧れなどなかった私は破談に・・・。

なんで憧れなかったのかなあ・・・。

 

特に高収入(あるに越したことはないけど)やイケメンや背が高いなどのリクエストもない。

ただ面白ければいい。

早くにお笑い芸人のような人と出会ったら結婚したかもしれない。

もし浮気されたとしても、お腹がよじれるくらい笑わせてくれたら許す。

逆を言えば、笑わせる自信がないならやらないでってことだけど。

 

今は一緒に暮らすパートナーがいるけれど、お互いに迷惑かけなくて楽しければ良いんじゃないかと思っている。

 

毎日笑って、美味しくご飯が食べられればいい。

 

でもまだウェディングドレスも着てないし、ハネムーンも行ってない。

その2つだけは今後やってみたいけれど、50歳のウェディングドレスはどうなるのだろうか。

たるんだあごのお肉や顔周りに黒くシャドウを入れて細く見せて、ウエスト部分もコルセットでギュッとすればなんとかなるのかな。

もはやコントのようかもしれない。

それはそれで笑える人生の良き一幕になりそうだ。

いっそ真っ白に塗って

「チャンチャチャチャ チャチャンチャチャ 早くにー結婚すると思ったけれどぉー 気が付いたら50歳でしたぁー チキショー」 ※某お笑い芸人さんのパロディ

と叫んでみようか。

この辺りは大分リアルに思えるから、実現するかもしれない。

 

それにしてもこんな大人になると思わなかった。