最初で最後の平手打ち

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

20年以上前の話である。

中学生の頃だった。

当時バレー部に所属していて、強い弱いはさておき非常に厳しい部活だった。

若い顧問は熱血指導者。

とにかく試合に勝たせたいと言う思いが強かった。

 

練習内容も少し変わっていたように思う。

練習にはこんな事もあった。

試合の時にたくさんの観客がいても緊張しないように、と体育館の壇上に上がり一人で自分の選んだ歌や校歌を大声で歌う。

見られることに慣れるように。声が小さかったらやりなおし。

時には運動場の真中で一人で歌う。部員全員で歌うこともある。

どの時も、他の運動部は練習中だし、帰宅中の生徒にも見られるし、思春期の自分にはきついものだった。

 

練習や試合でミスをすると、太ももの裏あたりを思い切りたたかれた。

当時はテレビでも熱血指導の先生はいたし、特に疑問も思わず毎日練習に励んでいた。

一緒に入部した同学年の部員は、20人から数か月で5人になっていた。

 

中学2年生のある日、顧問が職員会議で練習に遅れてくる日があった。

緊張感が薄れ、ダラダラ笑いながら練習をしていた。

思ったより職員会議が早く終わり、その光景をみた顧問は激怒した。

「今日の練習は終わりだ!!もう帰れ!!」

いなくなった顧問を気にしつつ、バレーボールをかたずけようとした時にOG(引退した先輩)が数人きた。

「久しぶりに体を動かしたくて。やろうよ」と言われた。

当時の1学年の差は大きく、先輩のいう事は絶対だった。

事情を話すも、結局練習試合をすることになった。

 

久しぶりに先輩たちの動きを見ながら、皆本気で戦った。

1試合目が終わろうとした時・・・

体育館の入り口に人影が見えた。

「お前ら何やってんだ!誰の許可を得てるんだ!!」怒りに震える顧問だった。

理由を説明する間もなく、入り口近くにいたKちゃんが髪の毛をつかまれた。

のちにKちゃんに聞いたら、顔を守っていたら髪の毛をつかまれたとのことだった。

助けにいこうと近寄ったが、あまりの剣幕に思わず後退りした。

kちゃんは振り回され入り口に投げられた後、次に近くにいたキャプテンが頬を殴られた。

次にDちゃんが殴られた。

Dちゃんはとっさに受け身をとっていたらしい。

そして次にOちゃんが数発殴られ蹴られ、最後に私だった。

最後だったこともあり、顧問は正気を取り戻していたように思う。

それでも公平に、との思いからか数発殴られた。

殴られ慣れていない私はまともにビンタを受け、2、3発目でよろけて倒れた。

結果、耐えた分キャプテンのほうがビンタが多かったようだ。

私のよろけは早かった。

殴られたことで、気持ちが先に折れたから立っていられなかった。

バレー顧問の男性のビンタの衝撃は大きかった。

2年生5人を殴った後、去っていった。

 

顔面蒼白な先輩達は「大丈夫!?」と、泣きじゃくる私や他のメンバーに走り寄った。

髪の毛を掴まれたkちゃんは大量の毛が抜けていた。

キャプテンは目のあたりを打たれたらしく、ずっと押さえていた。

受け身を取ったと言ったDちゃんは無傷。すごい。

Oちゃんは顔が真っ赤に。

私は少し目の端の皮膚が切れたらしく、薄い血が涙に混じって流れていた。

 

大惨事だった。

 

しばらくしてみんなの気持ちが落ち着いた頃、各自家に戻った。

言わずとも、泣きはらした目と顔の腫れに家族が気づかないわけがない。

始めに家にいた祖母が「どうしたんだ?」と聞いてきた。

それには答えず、自分の部屋に急いで入った。

 

その後父母が帰ってきた頃に、父宛に顧問から謝罪の電話があった。

「こういう理由で叩きました。申し訳ございません」と。

 

全家庭の親が我が家に集まり、話し合いになった。

私たち5人は「私たちが悪かったから」と言い続けた。

親同士は、女の子の顔に手を挙げたことは許せないけれど、子供たちがここまで言うならと大事にはしなかった。

今なら大事な気もするが、それも時代かな。

 

翌日顧問に5人は謝罪に向かった。

「勝手なことをしてすみませんでした。」と謝った私たちに、

顧問は「どういう理由であれ、叩いてしまったことは申し訳なかった」と言った。

 

初めて顔を殴られ、目の周りは真っ青になった。

数日ひどい顔だった。

それでも部活動は5人とも卒業まで続けた。

 最後の試合に負けた時、終わりの笛が鳴り終わるや否やコートの外で5人で泣いた。

 

顔を殴られるのは、この時が最初で最後になったと、思う。

今後なければ。

顧問とはその後も友好な関係が続いていた。

数年後にあった時には、時代の変化とともにかなり丸くなっており、あの時は申し訳なかったと繰りかえしていた。

顧問も手を挙げたのは、あれ以降ないようだ。

 

このことは忘れられない青春の1ページとして心の隅に閉まっている。